こんにちは、ヒナタです。
昨日の7月1日は香港返還記念日でした。
今年で返還21周年となりました。
1997年以降、夜に花火が上がるなどイベント色が強かった返還記念日ですが、
2014年に雨傘運動があってからは、返還記念日もお祝いごととしていいのか
香港では複雑な空気が流れるようになりました。
昨年は20周年で国家主席が式典に出席し、表向きは平穏に過ぎましたが
SNSなど巷の声ではあまり歓迎ムードではなかったようです。
さて今年はというと、花火もなく、去年のように返還日セールなどをやっている店もなく、
普通の日曜として過ぎて行きました。
当の香港がおとなしい中、日本のテレビでは香港返還記念日にふさわしい番組をやっていました。
今日は番組を視聴した感想を書こうと思います。
7/1(日)「日曜ゴールデンの池上ワールド 池上彰の現代史を歩く」
何でも知っているあの池上先生ですが、どうせ広く浅くでしょうし、昨今の複雑な香港の状況をどこまで分かっているのだろうという見方をしていましたが、さすが先生だけあってよくご存じでした。
無意味なゲスト
ゲストの女性二人は何をしに来たの?というくらいインパクトがありませんでした。
自称香港通という方は3-4回香港に来ただけで、最後に来たのが7年前だそうです。
もう一人は初めての香港、イギリスのロンドン生まれだそうですが、香港とは関係ありません。
何も知らない生徒二人に池上先生がレクチャーするという形式なのでしょうが、
もう少し香港に興味のある人はいなかったんでしょうかね。
銅鑼湾へ
今や香港では誰も口にしない本屋さんの店舗(当然閉まっています)へ、大胆にもロケに行っています。その本屋に関する事件のことなど語っていましたが、日本の番組だから自由に放送できるのですね。香港的にはとても敏感なスポットです。
上水へ
地下鉄の券売機でゲスト二人がワーワー言いながらチケットを買う姿が異様でした。二人とも初めての海外じゃないのに、香港の券売機ってそんなに面白いですかね。
国境に近い上水駅で降りて、深センが見渡せる展望台へ。
こんな所があったんですね。私も深センへ向かう時に香港から見える景色は何度も見ていますが、展望台があるなんて知りませんでした。
深センに高層ビルがあるのは香港を真似して街づくりをしたから、というのには納得できました。中国本土は土地が広いので本当は高層ビルにする必要はなかったんですね。
上海蟹で有名な店『天香樓』
中川翔子などが香港特集で何度も紹介している上海蟹の混ぜ麺のお店、ここは地元の人は本当に行かない場所です。地元の人は、観光客向けの店だと言っていますが、単に高級店なので一般の人は縁がないだけです。高級店というだけあって味は保証付きです。
長寿の秘訣
このブログでもたびたび取り上げている香港人の長寿の秘訣ですが、やはりこうでした。
・朝の運動
・あっさりした食事(蒸し料理が多い)
・麻雀(頭の体操)
それから、専門家が言うには今のお年寄りは本土から命からがらやってきた難民が多いので、その精神的・肉体的なタフさが長寿の秘訣ではないかということでした。
現時点での高齢者については実際にそうでしょうし、納得できる気がします。
日本の統治時代
香港はイギリスの統治時代が長かったものの、3年半にわたって日本の占領下にあった時期もあります。香港の歴史博物館に行くと、日本統治時代の展示や解説がいやというほど置いてあり、私は博物館から出てくるときものすごく暗い気持ちになりました。
番組でのコメントにもありましたが、日本では全く教わらない歴史の一部なので初めて知った日本人には衝撃的な事実です。日本の国にとっては近代史のうちの3年半の歴史に過ぎませんが、香港で生活していた人たちの日常生活、それぞれの人生にとっての影響は大きなものでした。
香港割譲
今さらながら池上先生にあらためて解説してもらうとよく分かりました。
香港はアヘンをうりつけられた上に戦争に巻き込まれ、しかも負けて香港島を割譲するはめになったのですから、中国(清)にとっては踏んだり蹴ったりな結果でした。そのあと九龍半島割譲、そして新界のみ99年の租借地としました。
そうすると1997年に返還するのは新界のみで良いはずですが、いまさら一緒に発展してきた香港の一部だけを返還するわけにもいきません。当時の鄧小平国家主席が強い姿勢で香港を回収すると言って永久租借を申し出たイギリスの交渉に応じませんでした。
まあ、元を辿れば中国はひどい目に遭って香港を渡すことになってしまったので、平和な世の中になった今、香港島も九龍半島もぜんぶ丸ごと返してもらうというのは当然かもしれません。
池上先生曰く、99年前の人々にとって約1世紀後のことなんて関係ありませんし、永久に似たニュアンスでの交渉だったということです。それはそうかもしれません。同様に、今の我々は1世紀前の自分たちがした覚えのない約束について自分たちの時代のために交渉しなければならないということです。
戦後生まれの日本人がアジア諸国で、戦後生まれの人々に「謝れ」と言われることがあります。私も中国人、韓国人、一部の香港人から言われたことがあります。日本人なので国としての歴史を背負うのは仕方ありません。自分はたまたま日本に生まれたがために、過去の日本人のしてきたことで色々言われてしまうのです。
そう思うと、返還後に生まれた香港の若者たちも、生まれた場所や歴史は変えられないとしても、なるべく自分たちが生きやすい世の中になるように、うまく風を見極めて切磋琢磨して欲しいと思います。
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