2019年7月10日水曜日

実体験の記録、現地採用で働いた香港の職場


こんにちは、ヒナタです。

仕事を辞めてもう丸3年、最近になって仕事をしていた頃の夢をよく見ます。
東京へ行って、以前仕事でお世話になった方たちに再会する夢も。
本当に久しぶりに東京へ行って、そういう方々に会えればなと思いました。

今日は(個人的な回想ですが)香港で仕事をしていた頃のことを書きたいと思います。
香港での仕事(1社目)
まだ新卒同様で香港に来た私が最初に就職したのは、
日本人が香港で起業した小さな会社でした。

日本人は社長と副社長のみ、その下のマネージャーは香港人でした。

その会社では、日本のように先輩や上司が懇切丁寧に仕事を教えてくれるはずもなく
何度も苦い経験をしながら、時には叱られながら、
右往左往しながら、仕事を覚えていった気がします。
仕事がなかなか終わらず毎日22時、23時まで残業していました。

そんなある日、日本人の友達とたまたま給与の話になり
私が給与額を言うと、かなりの低さに驚かれました。

新卒同様の私にワーキングビザを申請してくれるだけでありがたく、
私を採用してくれた会社には大変感謝していたのですが
冷静になって考えると、私は給与も低い上に残業代もついていませんでした。
友達から、労働条件が悪すぎると指摘されて初めて、転職を考えるようになりました。

私は香港に来た当初は北京語しかできなかったのですが、
その頃には広東語が仕事で使える程度になっていました。

転職するなら労働条件が整っていて、福利厚生がきっちりした大手がいいと思いました。
香港でのスキルも多少ついたことだし、給与アップも見込めます。
香港での仕事(2社目)
次に採用してもらったのは日系の大手メーカーでした。

職場環境があまりに良く、今までの苦行のような職場とは正反対でした。
任されたポジションでも、とてもスムーズに仕事ができました。
それは私の実力ではなく、環境が整っていたからでした。

前任者からの丁寧な引継ぎと、完璧な仕事マニュアルがあったことをはじめ、
上司、同僚、本社の方、グループ会社の方、
とにかく周囲の色んな方々に手厚く助けてもらいながら仕事ができました。

この職場では褒められたことも多々あり、
それは全て周りの人、会社、環境がしっかりしていたからだと心底思います。
お互いが助け合って、結果を褒め合う、
なんというか職場環境に良い風が吹いていました。

今思えば、前の会社は小規模で立ち上げすぐだったので、
営業でも会計でも何でもこなせる即戦力が必要だったのだと思います。
ここでは当然ながら営業も会計も部署に分かれていて、細かく役割が分かれていて、
自分が全てのプロでなくても、それぞれの分野で頼れる人がいました。

そして前職が大海原に放り込まれ一人で溺れながらでも泳げと言われていたとすれば
ここでは手取り足取り泳ぎ方を段階的に教えてもらって、
もともと泳ぎが上手くない私でも人の手を借りながら泳げていたような気がします。

そんな職場も、日本への帰国を決意し数年後に退職しました。
当然のことながら、仕事に対する不満は全くなく、
むしろ職場を去ることを惜しむ気持ちしかありませんでした。
香港での仕事(3社目)
日本へ完全帰国したものの、何かの運命で数年後に再び香港へ戻って来ました。

次に就職したのは日系の大手商社でした。
2社目と同様に福利厚生は整って会社本体がしっかりしていました。

但し会社がいかに素晴らしくても、
香港での自分の部署、ポジションだけの話をすると労働環境は良くありませんでした。

とにかく忙しい部署で、人手が足りない上に、仕事だけは山ほどありました。
景気もいまひとつで営業にも頑張って出ないといけないので
中国出張も一人で、早朝から夜中の日帰り、
交通手段はより安い方法でということで深夜に国境超えのバス移動もしました。

多忙で残業は毎日のこと、夜ごはんはほとんど家で食べたことがなく
22時くらいに「お先に失礼します」と帰る毎日でした。
一体何がそんなにハードだったのか今では思い出せません。
とにかく走り続けるしかない状態で、社員旅行すら出張が重なって1日早く帰りました。

仕事が大変だったものの、同僚や上司との関係に大きな不満はなく、
残業代が出たのも原動力で、なんとかハードな毎日をこなしていました。

そんな日がずっと続くと思っていた矢先、2社目の会社から
もう一度戻ってこないかと声をかけられ、悩んだ末に戻ることにしました。

香港での仕事(4社目※2社目と同じ)
勝手知ったる職場、同僚、取引先、本社の人・・
転職したにもかかわらず、こんなに居心地の良い職場はありませんでした。

ただ、出だしは色々とありました。
なぜ私が呼び戻されたのかというと、
一風変わった若いスタッフたちのお世話、仕事のフォローと、
職場の雰囲気の改善が当面の課題でした。

同じ職場とはいえ、数年前とは人も体制も入れ替わって
雰囲気も少し変わっていました。

それでもやっぱり、この職場にいると自分の居場所を確認することができました。
その後も色々と仕事内容も変わっていき、全く別の事業にも関わったり、
今思えばとても貴重で面白い経験ができたと思います。

今度こそずっとこの職場でやっていくのだろう、と思っていたものの、
妊娠・出産をきっかけに退職しました。
おわりに
あなたは職場でも、学校でも、憧れの人っていたでしょうか。

私はいました。
高校の吹奏楽部では、技術も人間性も全て憧れていた先輩がいて、
その先輩のことが大好きで、その先輩の言葉ひとつひとつが腑に落ちて、
先輩みたいになりたくて練習を頑張ったり、生き方や考え方を真似したりしました。

2社目(と4社目)の職場でも、私にはカリスマに見える憧れの人がいました。
その人は仕事ができるのは当然のこと、上とも下とも関係が良く、
メールや発言の一言一言が、親近感が持てる上にスマートでした。
一緒に仕事ができるのが光栄で私も頑張っていました。

人生にそういう人がいるだけで、自分が正しい生き方を選べるし、
憧れの人が自分の生きざまを見てくれていると思うと頑張れました。
そういう人のおかげで大幅に道を外さないでこれたという感謝すらあります。

会社関係で知り合った人で、退職後も連絡を取り続けている人は少数です。
たまに思い出して、どうしているかな、お話したいなと思っても
今さら同僚でも上司でも取引先でもない人に連絡する勇気はありません。

あの人はもう定年退職されたかな・・
東京に帰国されてからどうしてるかな・・

私のことも、少しでいいので覚えていてもらえたらいいなと思います。

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